JEA社会委員会「関東大震災100年 朝鮮人・中国人虐殺犠牲者を覚えて」
JEA社会委員会「関東大震災100年 朝鮮人・中国人虐殺犠牲者を覚えて」の祈りを出しました。全文とその解説を掲載します。
関東大震災100年 朝鮮人・中国人虐殺犠牲者を覚えて
歴史の主よ。
私たちは昨年、関東大震災(1923年)から100年の時を過ごしました。
その時起きてしまった朝鮮人・中国人の虐殺事件を思い起こし、祈りをささげます。
どうか、現代の社会情勢と思想の荒波の中にあって、歴史を相応しく知ることをなさしめてください。
憐れみに富みたもう主よ。
当時、教会の多くはこの痛ましい事件に対して何もいたしませんでした。
歴史を通して、私たちもまた心と言葉と行いによって、自分と異なる隣人を自分自身のように愛することができない者たちであることを省みさせられております。
和解の主、平和の主よ。
今も在日外国人に対する偏見や差別が、ヘイトスピーチやヘイトクライムとして表れております。
いつもの日々においても、大きな災害の時においても、私たちを偏見と差別と偽りから守ってください。
「だれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」(ルカ10章36節)との主イエス・キリストの言葉に耳を傾け、言語、文化、ルーツを超えて隣人になる歩みをすることができるよう、私たちを造り変えてください。
王の王なる神よ。
上に立つ者たちが、「主のしもべ」として、非人間的な行為をも心に刻み、過去を引き受けることができますように。彼らが、寄留者と共にある社会のために、神の御心にかなってその務めを果たすことができますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
2024年3月22日(金)
日本福音同盟(JEA)社会委員会
委員長 児玉智継
解説
100年前の1923年9月1日、関東大震災が起きました。震災後に起きた人災の最たるものは、公権力と民衆による朝鮮人・中国人の虐殺事件でした。
この出来事は韓国併合の歴史が伏線にあります。特に三・一独立運動(1919年)以降、「不逞鮮人」という蔑称が急速に普及するようになり、朝鮮人に対する差別や恐れが、日本社会に蔓延していたのでした。
こうした中で起きた大震災の直後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「朝鮮人が暴動を起こしている」などの流言飛語が広まりました。
通信手段が絶たれていた公権力は、その真偽の確認ができないまま、朝鮮人の取り締まりを指示しました。そのため、流言飛語は公権力によって広まることとなり、マスコミもこれを煽りました。さらに無政府主義者や労働運動家を虐殺するなど、権力行使は常軌を逸したものとなりました。
民衆もまた、震災という非常時、自分たちとは異なる言語・方言に対して疑心暗鬼になり、情報の整理や正常な判断ができませんでした。そして朝鮮人に対して潜在していた差別や恐れが、凶暴性となってむき出しになってしまったのです。
キリスト教界では、虐殺事件の問題に筆を走らせた牧師とそれを受け止めた教会もありましたが、教会の多くはこの痛ましい事件に対して何もしませんでした。「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイ22章39節)という聖句に照らすならば、自分と異なる隣人を愛することができなったと言わざるを得ないのです。
現在も在日外国人に対する偏見・差別が、ヘイトスピーチやヘイトクライムとして表れています。日韓・日中関係の悪化は、そうした偏見・差別の思いを私たちに蓄積させることになります。
また、この虐殺について歴史家たちの地道な掘り起こしによって史実が明らかにされているにもかかわらず、為政者は検証を行おうとはしません。むしろ為政者の言葉や行動が問題を曖昧にしています。歴史修正主義的な言説も散見されます。
このような時代にあって100年の節目、「だれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」(ルカ10章36節)との主イエスキリストの言葉に耳を傾けたいと願い、この祈りを記しました。